初サブスリーへの道のり②〜目指したきっかけ

初サブスリーへの道のり①〜前提編より続く

はじまりは2016柴又100kの敗走

すべてのきっかけは、2016年6月の柴又100kにまでさかのぼります。
前回も書いたとおり、ずっとジョギングはコンスタントに続けてきており長い距離を走ることに対しては自信がありました。2015年の柴又も10時間30分を切るタイムで走っていたし、2016年も春先から50キロジョグや60キロジョグなどをしてしっかりと準備をし、今回は10時間を切るぞとかなり意気込んで臨んだ大会でした。

しかし結果は惨憺たるもの。50キロ過ぎに気分が悪くなり、まともに走れるような状態ではなくなり、結局55キロでリタイア。
理由はいまだにわかりません。気象状況が悪かったわけでもなく、走り初めの体調も悪くなかったはず。
ある程度準備をしてきただけに、その悔しさは少なくありませんでした。もう8ヶ月経ってしまった今でも覚えていますが、コース途中、砂利道の真ん中で涙を流しながらリタイアを決断しました。
ここのブログ、2015年の柴又100kは参加の様子をつまびらかに書いているのに、2016年については特に触れていないのは、出場しなかったのではなく、出場したけれどもそんな結果だったので、どうにも書けなかったのです。
レース前は、2016柴又出たよ!10時間切ったよ!!っていう記事を書く青写真が完全に頭のなかにできあがっていたことがなおさら恥ずかしく思えます。

このままでは悔しい。でも1年も待てない。

そしてリタイアから数日経ち、再び走り出しますが、やはり日を追うごとに悔しさが募ってきます。
結局55キロで係員の方にリタイアを告げてチップ外しちゃったけど、本当にあの時だめだったのか、もう少し頑張れたのではなかったのか。
あと少し休めば、実は回復したんじゃないか。10時間切れそうになかったから諦めただけなんじゃないか。
そんな思いがぐるぐるぐるぐる頭の中を駆け巡ります。
とにかく不完全燃焼感がひどい。できることならもう一度やらせてほしい。

ただ、もちろん次の柴又は1年後。私の都合で1年に2回開催してくれるはずはありません。
そんなことが許されたら、どこぞの誰かのために365日柴又100kが開催されることでしょう。

悔しい。でも1年も待てない。

そう思っていたときに、ふと思ったのが、
「じゃあ、代わりに秋にフルで3時間切る」
だったのです。
とにかく、不完全燃焼から生まれる一酸化炭素のような、ある意味毒を含んだエネルギーを一刻も早く何らかの形で昇華させたかったんだと思います。

それが柴又から1ヶ月、ちょうど7月に入った頃でした。

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